The Room of Requirement

必要な人が必要な時に必要なことを

5人の先達の慧眼:『人類の未来』

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『人類の未来』NHK出版新書

著者:ノーム・チョムスキーレイ・カーツワイル、マーティン・ウルフ、ビャルケ・インゲルス、フリーマン・ダイソン吉成真由美[インタビュー・編]

 2017年、今知りたいことを世界最高の知性たちが語る

ベストセラーとなった『知の逆転』の姉妹本です。トランプ政権、民主主義、AI、シンギュラリティ、EU、都市建築、環境問題、2017年に人類が直面する様々な問題と人類が手にしつつあるテクノロジーの未来について、5人の超一流の知性たちが吉成氏のインタビューに答えます。

 

本書の概要

第1章 トランプ政権と民主主義のゆくえ ノーム・チョムスキー

「世界一の知識人」と称されるノーム・チョムスキーは、もともと数学者でしたが、全ての言語に共通する普遍文法を提唱して言語学に革命をもたらし、ベテナム反戦運動を機に政治活動にも深く関与するようになった人物です。

・アメリカは衰退すれども世界一か?

アメリカは世界最強の国として他の追随を許さない状況ではあるが、アメリカの力のピークは70年前の1945年であり、その時から斜陽は始まっている。衰退の主たる原因は規制緩和政策や健康保険システムなどの国内政策である。

・トランプはアメリカをどこに導くのか?

デマゴーグ(煽動政治家)たちが取る常套手段であるスケープゴートを立てて不満のはけ口にするやり方が欧米に広がっている。選挙戦で重要課題がほぼ完全に無視されたことはメディアの責任が大きい。トランプの最も確かなことは彼が不確かだということだ。彼は神経の細い誇大妄想狂であり、彼がどのような行動に出るのか、本人も含め誰にもわからないという状況は非常に危険である。

・ISと中東問題

サウジアラビアのジハード・グループへの資金提供による極端なイスラムイデオロギーの促進、イラク侵攻によってもたらされた破壊とセクト戦争などが、ISが生まれる土壌を培うことになった。

・なぜ戦争をするのか?

戦争は偶発的事件の重なりから始まることがあれば、一国の指導者(例えばヒトラー)の攻撃性で始まることもある。核兵器時代になっても世界が存続し続けいていることは、ある意味奇跡的なことであり、このまま続くとは思えない。

日本の平和憲法は、完璧ではないにしろ、世界中が見習うべきものである。集団的自衛権の行使が可能になったことでそれが崩されていくのを見るのは残念としか言いようがない。

・テクノロジーの進歩と人類の未来

AIが人類の知能を超えるというアイディアは、今のところ完全なる夢であり、実現するコンセプトもその夢を支える根拠もない。ディープ・ラーニング膨大なデータとコンピュータの計算力に頼ったもので、実際の知能の働きとはかけ離れている。

第2章 シンギュラリティは本当に近いのか? レイ・カーツワイル

レイ・カーツワイルは発明家・未来学者・コンピュータ・エンジニア・実業家であり、2045年にはAIの能力が全く予測不可能な臨界地点に到達することを予測し、その地点を「シンギュラリティ」と名付けました。

・「シンギュラリティ」の背景

情報技術は指数関数的な成長をする。2029年にはコンピュータが全ての分野に置いて人間がすることを超えるようになる。このAIが手にはいれば、赤血球サイズのナノロボットによる免疫システムの補助で寿命を延長させたり、AIを直接脳に接続し究極的なVRの構築や思考の拡大を実現したりできるようになる。

・医療・エネルギー・環境問題の未来

医療ナノロボットのテクノロジーを通じて究極的には全ての病気は克服される。ソーラー・エネルギーが指数関数的に成長すれば20年もしないうちに必要とする全エネルギー太陽エネルギーで非常に安くまかなえるようになる。

・コンピュータによる知能の獲得

ディープ・ラーニングは適切な判断のために膨大なデータを必要とするため、AIの課題は「少ない情報から多くを学ぶこと」である。情報の入力を多層化することで高度な知能を実現できる。

・人類進化と幸福の意味

我々の思考は有機的な部分(脳)と無機的な部分(AI)から成り立つようになるが、やがて無機的な部分がそのほとんどを占めるようになる。この時、自己のバックアップを作ることができる。

第3章 グローバリゼーションと世界経済のゆくえ マーティン・ウルフ

「世界で最も信頼されている経済・金融ジャーナリスト」と多くの人が認めるマンーティン・ウルフはフィナンシャル・タイムズ紙の経済論説主幹を務めます。

・グローバリゼーションのゆくえ

現在がグローバリゼーションの停滞が内向きの姿勢へと結びつく転換点にある、という可能性は十分にある。グローバルな交易は問題もあるが、全体として世界に利益をもたらすものである。貧富の格差は適切な予防措置を取らなかったために生じた。

・日本の借金問題

日本政府の借金はほぼ全てを日本国民に負っているため、アルゼンチンやギリシャのケースとは異なる。日本政府は財政のバランスをとることも必要ではあるが、それにも増して、経済がうまく機能していくことを責任を持って最優先すべきである。法人税を引き上げ、企業の余剰資金を取り出して家計に移し、総需要をあげることが適切であると考える。

ブレグジットの影響とイギリスやEUの将来

ユーロ圏の失敗と東ヨーロッパからの移民が英国民のEUに対する不信感を高め離脱につながった。イギリスの今後についてはわからない。スイスのようになるかもしれないが誰にも予測できない。ブレグジットがスムーズに進みEUとイギリスの関係が良好保たれ世界経済への影響は限定的であるという可能性もあるし、ブレグジットがうまくいかずユーロ圏の分裂などを引き起こし世界経済に計り知れない打撃を与えるという可能性もないわけではない。

第4章 都市とライフスタイルのゆくえ ビャルケ・インゲルス

ビャルケ・インゲルスはデザイン性と実用性を両立した作品を生み出して数々の賞を受賞し、2005年にBIGを立ち上げてから11年間に世界貿易センタービル2、グーグル本社、ハイパーループ1など次々に大型プロジェクトを依頼されています。

・3Dプリンティングは大量生産型の建築にも建築材料として使用されるようになるのは間違いない。テクノロジーが飛躍的に発展すればテクノロジーの部分はますます短命に多様になっていって、現在の最新テクノロジーを取り入れれば入れるほど建築が実際に建つ3,4年先にはそれらのテクノロジーはすでに古いものになっている。建物自体はローテクになっていくと思われる。

 

第5章 気候変動モデル懐疑論 フリーマン・ダイソン

数学・理論物理学の分野に加え、他の様々な分野でも目覚ましい活躍を見せてきたフリーマン・ダイソンアインシュタインの真の後継者としてあまねく尊敬を受け、通説やドグマに惑わされず、様々な問題に対して常に独自の視点を提供してきました。

・気候変動の誤謬

炭素削減が地球を温暖化しているとして、その対策に血眼になって、森林伐採や野生動物の破壊など実際の被害が生じているところに使われるべき莫大な時間と資金が投入されてきたことは嘆かわしい。環境保全は熱心に支持するが、それが炭素燃焼という環境保護とは関係のない問題と混同されているのは不幸なことだ。

 

まとめ

『知の逆転』が興味深い本だったので、その姉妹本である本書を読んでみました。常識や周囲の情勢に流されず、事実を冷静に見つめ、本質を見定める5人の知性たちの人類の未来に対する見解を知ることができました。5人の意見は必ずしも一致しているわけではありません。AIが知性を獲得するというのは今の所ファンタジーでしかないと言うチョムスキーに対し、AIは知性を獲得しシンギュラリティを迎え、人類と融合すると語るカーツワイル。地球温暖化は人類存続に関わる大問題であるから炭素削減を含む対策を講じなければならないと主張するチョムスキーに対し、気候変動は極めて複雑なプロセスなので炭素削減に拘泥するのではなく実際に発生している環境問題に時間と資金を投入すべきだと述べるダイソン。彼らほどの知性でも異なる見解を持つに至るほど、現代の問題は予測不可能であるようです。

不可能と可能の境界を探る:『サイエンス・インポッシブル』

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『サイエンス・インポッシブル』NHK出版

著者:ミチオ・カク

 

現代物理学界代表する博士がSF世界は実現可能かを検証

タイムトラベル、テレポーテーション、超光速航行、…。『スター・トレック』や『透明人間』などのSF作品に登場する夢のテクノロジーが実現可能なのかをミチオ・カク博士がその非常に幅広く創造的な想像力で検証します。加えられる考察は、現代の最先端の物理学に基づいていることはもちろん、その領域を躊躇なく踏み越えて未知の物理学の立場からもなされています。博士はその聡明な頭脳で不可能と可能の境界線を見定めます。

 

本書の概要

不可能レベルⅠ

:現時点では不可能だが、既知の物理法則には反していないテクノロジーで、今世紀中に可能になるか、あるいは来世紀にいくらか形を変えて可能になるかもしれないもの

1.フォース・フィールド(シールド)

フォース・フィールドは『スター・トレック』のエンタープライズ号を敵の攻撃から守る目に見えないバリアです。現在の技術でこれを完全に実現することはできませんが、プラズマを電場や磁場で成形したプラズマウィンドウ、通るものを熱で蒸発させる高エネルギーレーザー光線のカーテン、透明でありながら鋼鉄より強靭なカーボンナノチューブの格子を組み合わせた多層シールドに光色性を付与できれば、粒子ビーム・大砲・レーザー光線を通さないシールドができます。

2.不可視化

ハリー・ポッター』でハリーは姿を見えなくできる透明マントを纏って深夜の校内を徘徊します。古くからのフィクションに登場するような三次元の不可視化は今のところ不可能ですが、内部で屈折率を連続的に変化させ光路を迂回させることで不可視となる「メタマテリアル」は、マイクロ波に対しては不可視化を実現しています。これを可視光及び三次元へと拡張できれば不可視化を実現できます。三次元ホログラムも有望な技術です。

3.フェイザーデス・スター

スター・トレック』のフェイザー(光線銃)や『スターウォーズ』のライトセーバーのようなレーザー兵器の実現を阻むのは、高エネルギーの携帯式動力装置が存在しないことです。

惑星を破壊できる月サイズの巨大兵器であるデス・スターのようなものを作るためには、核爆発や核融合のエネルギーをX線レーザーに集約する方法が考えられます。また、出来かけの巨大ブラックホールのようなものである「ガンマ線バースター」を操作し標的にジェットを向けるという方法もありますが、これは不可能レベルⅡに属するテクノロジーです。

4.テレポーテーション

量子テレポーテーションの技術で、光子・セシウム原子等のテレポーテーションに成功しています。また、量子的絡み合いを必要としないテレポーテーションの方式も提案されています。複雑な分子やウイルス・細胞のテレポーテーションは不可能レベルⅠ、人間などのテレポーテーションは不可能レベルⅡです。

このほか、テレパシー、念力、人工知能、地球外生命体とUFO、スターシップ、反宇宙と反物質についてその可能性を探ります。

 
不可能レベルⅡ

:物理世界に対する我々の理解の辺縁にかろうじて位置するようなテクノロジーで、仮に可能だとしても、実現するのは数千年から数百万年先のことかもしれないもの

11.光より速く

超光速航行によるワープはSFの定番です。一般相対性理論が存在を許す、空間を引き延ばす「アルクビエレ・ドライブ」や空間を引き裂く「ワームホール」は超光速を実現する可能性がありますが、莫大な量の負の質量や負のエネルギーが必要になります。我々がそれほどのエネルギーを扱うことができるようになるには数千年以上必要になるでしょうが、どちらもその存在を否定する物理法則はありません。

12.タイムトラベル

高速で移動することで未来へのタイムトラベルは可能で、実際に高速で地球を周回する人工衛星は未来へ"タイムトラベル"し続けていています。アインシュタインの方程式が何種類ものタイムマシンの可能性を許すことから、SFの領域にあった過去へのタイムトラベルが物理の領域へ引きずり出されました。過去へのタイムトラベルを禁じる物理法則はなく、幾つか考えられている方法の一つにワームホールを利用するものがあります。

13.並行宇宙

3種類の並行宇宙が議論されています。

①超空間、あるいは高次元:超弦理論は10次元の存在を必要とします。

マルチバース:物理定数が異なる無数の宇宙が存在しているという説です。

量子論的な並行宇宙: 量子力学の解釈問題から考えられる並行宇宙です。

 
不可能レベルⅢ

:既知の物理法則に反するテクノロジーで、もし可能であれば物理学に対する我々の理解が根本的に変わることになるもの

14.永久機関

永久機関は熱力学三法則に反します。永久機関が実現可能ならば熱力学三法則がまちがっていることになりますが、熱力学三法則は「系が対称性を持つならば結果的にそれは保存則となる」というネーターの定理に基づくものなので、その否定には現代の基礎物理学についての宇宙スケールでの理解を根本的に変えなければなりません。

15.予知能力

原因は結果に先行するという因果律は、ニュートン力学でも量子力学でも破ることは許されません。永久機関同様、予知能力もそれが存在するならば現代物理の見直しが必要になります。

 

宇宙はたった一つの電子である?

予知能力の可能性の検討の中で、時間を遡る電子について説明がなされます。僕はこのアイディアが本書の中で最も突飛で最も不可能であるように感じられたので取り上げます。

あらゆる粒子に反粒子が存在していることが知られています。電子も例外ではなく、反電子というものが存在しています。反電子は質量やスピンは電子と同じで電荷の符号が逆である粒子です。この電子と反電子が衝突すると対消滅を起こしてガンマ線が生じます。

大学院生だったリチャード・ファインマンディラック方程式で時間の方向を逆にしても、電子の電荷の符号を逆にすれば方程式は変わらないことに気づきます。すなわち、反電子は、時間を逆行する電子であると考えることができることに気がつきました。この見解で電子と反電子の対消滅を考えると、時間を順行していた電子がガンマ線を放出してUターンし、時間を逆行していると考えることができます。

そしてこの考え方を推し進めると、「この宇宙全体が、時間の中をジグザグに行き来するたった一つの電子からなるかもしれない」という結論にたどり着くことができます。ビッグバンの混沌の中で作られたたった一つの電子が、何兆年ものちに世界の終わりの大変動に遭遇しますが、そこでUターンして時間を遡りその過程でガンマ線を放出、そしてまたビッグバンの時まで戻り、再びUターンしてガンマ線を放出、この往復が何度も繰り返されているだけであり、21世紀の宇宙は、この電子の旅を時間的に切った断面にすぎないということです。この理論は、物理学において個々の電子を区別できないという不思議な事実を説明してくれます。

 

まとめ

「何が可能で何が不可能であるか」を根拠をもって語るには、科学のあらゆる分野に精通し、かつ卓越した想像力を有する必要があります。そういう意味でこのテーマを語るのに、ミチオ・カク氏は最高の人物だと思います。理論的に、情熱的に、そして何より楽観的に未来を語る筆致は、博士の特別講義を聞いているような臨場感を読者に与えてくれます。

神の存在という「仮説」を粉砕する:『神は妄想である』

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『神は妄想である』早川書房

著者:リチャード・ドーキンス

 

世界一有名な不可知論者が宗教を徹底的に攻撃する

9.11を始めとして、世界各地で宗教が背景にあるテロ・紛争が巻き起こる現代の世界情勢を憂慮して、『利己的な遺伝子』の著者として有名なドーキンスが、宗教に対してあらゆる方向から論理的かつ徹底的に鋭い批判を重ねます。神の存在という「仮説」を粉砕するため、そして世界中で宗教に対して密かに疑念を抱いている人に勇気を与えるためにドーキンスは宗教との最終決戦に挑みます。

 

本書の概要

本書は10章からなります。

 

第1章 すこぶる宗教的な不信心者

アインシュタインやホーキングを始めとする物理学者が使った神という言葉は比喩的ないし汎神論的ものであって理神論的・有神論的ものではないことを説明した上で、著者はそのような神とは異なる「超自然的な神」だけを妄想と呼んでいることを前置きします。

また、良心的徴兵忌避やムハンマドの風刺漫画掲載などの事例を取り上げ、人間社会においては宗教に対し、常軌を逸した過剰なまでの不相応な敬意が払われていることを指摘します。

第2章 神がいるという仮説

神仮説を次のように定義します。「宇宙と人間を含めてその内部にあるすべてのものを意識的に設計し、創造した超人間的、超自然的な知性が存在するという仮説」。そして、その代案として提唱される考え方が「何かを設計できるだけの十分な複雑さを備えたいかなる創造的な知性も、長期にわたる漸進的進化の単なる最終産物でしかない」というものであると主張します。

自らを無神論者に傾いた不可知論者とする著者は、神仮説は科学的な疑問で、それに対する不可知論はTAP(一時的不可知論)のカテゴリーに属するものであることを確認します。そして、ラッセルのティーポットや空飛ぶスパゲッティモンスターの例を挙げ、神仮説の蓋然性を50%とすることが誤りであると示します。

また、科学と宗教の非干渉関係を表すNOMA(重複することのない教導権)が宗教側の利益のためのものであり、神仮説を支持する証拠がない故に用いられることを指摘します。

第3章 神の存在を支持する論証

神学者たちが行ってきた神の存在の“論証”を紹介します。

無限退行に関わる論証、度合いからの論証、目的論的論証、存在論的論証、美を根拠にした論証、個人的な体験を基にした論証、聖書に基づく論証、崇拝される宗教的科学者を持ち出しての論証、パスカルの賭け、ベイズ流の論証、これらすべてが根拠を持たないものやそもそも論証になっていないものであることを示します。

第4章 ほとんど確実に神が存在しない理由

神学者が神の存在を論証するために用いる非蓋然性からの論証(目的論的論証と同じ)は、その意図に反して、ほとんど確実に神が存在しない理由を与えることを示します。生命の複雑さの説明に神による設計を持ち出すことはできず(神という、より複雑な存在の説明を必要とすることになる)、生命の起源に対する人間原理及び生命の進化に対する自然淘汰を想定するしかないと説明します。

第5章 宗教の起源

自然淘汰の及ぼすいかなる圧力がそもそも宗教への衝動を進化させたのかを問い、宗教の直接的利点、群淘汰、副産物としての宗教、ミームとしての宗教を考えます。著者は宗教を何かの副産物としてみなしており、「何か」の例として、「子供が周囲の大人の言うことに従うこと」を挙げます。これは人間社会において淘汰上の利益になると同時に奴隷のように騙される(すなわち宗教を持つ)ことにつながります。

ついで、誕生から消滅に至る完全な歴史が保持されているカーゴカルト(積荷信仰)を紹介しつつ、ミーム説が宗教という事例でうまく機能するか問います。

第6章 道徳の起源—なぜ私たちは善良なのか?

個人がお互いに対して「道徳的」であることに関するダーウィン主義に基づく理由を4つ挙げます。第一に遺伝的血縁によるもの、第二に互恵性によるもの、第三に気前よく親切であるという評判を獲得することによるもの、第四に気前良さによって得られる広告効果によるものです。すなわち、道徳の起源を宗教に求める必要はないと示します。

第7章 「よい」聖書と移り変わる「道徳に対する時代精神

宗教的な人々が道徳の拠り所とする旧約聖書新約聖書が極めて醜悪な内容を含むことを指摘した上で、聖書が道徳の起源になり得ないことを論証し、むしろ宗教が戦争の原因となっていることを示唆します。

また、どんな社会にもどことなく謎めいた見解の一致が存在し、それが数十年単位で変化することに対しツァイトガイスト(時代精神)という言葉を当てはめ、それが宗教を起源に持つことはないことを示します。

第8章 宗教のどこが悪いのか?なぜそんなに敵愾心を燃やすのか?

宗教上の原理主義が科学的な営為を積極的に堕落させるが故に著者はそれを敵視すると説明します。非原理主義的宗教は、子供に「疑うことのない無条件の信仰が美徳である」と教えることによって原理主義者にとって好都合な世界を作っているという意味で有害であるといいます。

また、宗教が同性愛や中絶に対する間違った主張の源泉となっていること、及びテロリズムの根本的な原因となっていることを主張します。

第9章 子供の虐待と宗教からの逃走

聖職者による子供への肉体的虐待もさることながら、子供の洗礼そして宗教的教育(例えば地獄を持ち出しての脅し)は精神的虐待であると訴えます。

さらに聖書を起源に持つ成句・詩句・常套句や宗教的儀礼といった文化的遺産との絆を失うことなく神への信仰を放棄することはできると主張します。

第10章 大いに必要とされる断絶?

宗教が人間生活において果たすと考えられてきた4つの主要な役割、すなわち説明、訓戒、慰め、霊感(インスピレーション)のうち、説明と訓戒において宗教が出る幕はないことはすでに説明されました。ここでは、宗教が提供してきた不合理で姑息な“慰め”の実態を再確認するとともに、科学が我々人間の非常に狭い世界を見る窓を劇的に広げてくれることを示します。

 

ほとんど確実に神が存在しない理由

本書の中心的テーマである、神がいるという仮説の否定を取り上げます。

創造論者の主張はこうです。「生物が備える構造は偶然ではありえないほどに複雑なものである。従って、これは神が設計したものである」。

この主張の第一文は正しい主張で、すべての人の共通了解事項です。問題はその後で、偶然ではありえない複雑さの説明に神を持ち出した瞬間、「では、神はどこから来たのか」という説明が必要となります。すなわち、複雑さが設計されたものだと考えると、その複雑さを上回る複雑さを備える存在(神)が必要になり、何の説明にもなっていない(無限の退行)ということです。

この説明に取って代わり、ありえなさという問題に対する今のところ唯一の有効な説明が自然淘汰による説明です。自然淘汰はありえなさを小さな断片に分割し、小さなありえなさを持つ出来事の累積として捉えることで、最終産物であるとんでもなくありえないものの存在を説明します。

自然淘汰が説明できないものに「還元不能な複雑さ」があります。これを持つとは「ある機能をもったひとまとまりのものが、それを構成する部品の一つでも取り去れば全体が機能しなくなること」を言い、仮に還元不能な複雑さを持つ構造が生物に見つかれば自然淘汰説は崩壊しますが、創造論者の努力むなしく現在のところ見つかっていないそうです。

 

まとめ

何億人もの人間を敵に回すことを覚悟した上で、自らの反迷信・反非合理主義の立場を貫き通すドーキンスの姿には、彼の科学者としての矜持を強く感じました。宗教を背景としたテロや紛争が顕在化し、宗教の実害が以前にもましてはっきりと姿を現し始めた現代だからこそ、一人でも多くの人間が宗教と決別する必要があると確信させられました。あらゆる方面から批判を加え、それに対するあらゆる反論・言い逃れまで想定しそれらに対する解答まで用意するという、宗教に対してわずかの逃げ場も与えないドーキンスの論の展開は、ある主張(本書では神がいるという仮説)に対してその主張を否定するということのお手本を示してくれているとも感じました。

この記事の分量からも察していただけると思いますが、本当に濃度が濃くたくさんのことを教えてくれるものであり、読書経験の中で出会った最も刺激的な本の一冊です。

なぜあなたは不合理に行動する?:『予想どおりに不合理』

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出典:Gideon

『予想どおりに不合理』ハヤカワ文庫

著者:ダン・アリエリー

 

行動経済学があかす「あなたがそれを選ぶわけ」

「なぜ人々はスターバックスに列をなすのか」から「パーティーで魅力的に見られるためには」まで、不合理で滑稽な人間の行動を予測する術を、数多くの社会実験と著者のユーモア溢れる経験談を交えながら教えてくれます。私たちが無意識にしてきた経済行動は、行動経済学を駆使すればはほとんど確実に予測可能なようです。自分の無意識の不合理な行動を理解すれば、日常生活のドラブルを避け、賢明に買い物し、周囲の人をちょっとだけ自分の思うように動かせるかもしれません。

 

 

本書の概要

第1章 相対性の真相

私たちは絶対的価値ではなく相対的価値で判断します。だから大半の人は、三択が用意されれば中程度のものを選ぶし、レストランのメニューにかなり高価な料理を一品加えるだけで他の高価な料理が売れやすくなります。

また、我々は比べるのが大好きですが、比べやすいものを比べ、比べにくいものを無視する傾向が有ります。だから商品Aと商品Bの他にAと類似だがAよりは劣る商品A’を用意すればAの売れ行きが伸びます。給料に対する男の満足度は、妻の姉妹の夫(比べやすい相手)より多く稼いでいるかどうかで決まります。

 

 

第2章 需要と供給の誤謬

市場価格は独立な需要と供給のバランスで決定されている、のではないようです。私たちは恣意的に設定された価格のアンカリングによって自分の価格判断を影響されています。だから需要がなかったタヒチの黒真珠は最初に法外な値段をつけることで高級品になりました。

そして、我々は最初のアンカリングに強く影響を受け続けるため、“自分自身に群れ集う”ような行動をとります。スターバックスの列に並ぶ人は、実は過去の自分の後ろに並んでいるのです。

 

第3章 ゼロコトストのコスト

私たちは、「無料」の魅力にすぐに屈してしまいます。だからAmazon送料無料を勝ち取るために無駄な買い物をしたり、もっと他にできることがある休日の時間を入館無料日の人でごった返した美術館の列の中で無為に過ごしたりしてしまいます。健康を意識して3キロカロリーより0キロカロリーのビールを選び、フライドポテトをもう一皿注文してしまうはめになります。

 

第4章 社会規範のコスト

私たちは市場規範と社会規範のどちらかに従って判断します。だから少しの報酬を得る仕事より無料のボランティアに快く熱心に取り組むし(社会規範に従っている)、遅刻に罰金を課すと遅刻が増えることがあります(市場規範に従っている)。社員・消防士・警察官・教師・恋人をやる気にさせるには市場規範ではなく社会規範に訴えなければなりません。

 

そして、以下のように話は展開します。

 

第5章 無料クッキーの力

第6章 性的興奮の影響

第7章 席の橋の問題と自制心

第8章 高価な所有意識

第9章 扉を開けておく

第10章 予測の効果

第11章 価格の力

第12章 不信の輪

第13章 わたしたちの品性について その1

第14章 わたしたちの品性について その2

第15章 ビールと無料のランチ

 

伝統的経済学と行動経済学

バーで4種類のビールを無料で提供する実験を行いました。客のグループに対して口頭で注文を取っていく場合と紙で各々の注文を取る場合をテストします。

結果を分析すると、口頭での注文の方が紙での注文より注文されるビールの種類が多く、また自分の判断への満足度は低い傾向があることがわかりました。これはアメリカでの実験結果で、香港での実験では面白いことに注文されるビールの種類が少なくなりました。この場合でも自分の判断への満足度が低いことは同じでした。

どちらの実験でも客は伝統的な経済学が仮定する合理的な行動を取っていません。判断に必要な情報を全て知っていなければ、目の前の様々な選択肢の価値を計算することもできず、選択による結果を何にも邪魔されずに評価することもできません。このような不合理な行動を予測しようとするのが行動経済学だそうです。

 

まとめ

私たちが行う判断の多くは伝統的な経済学が想定するような合理的なものではなく、不合理なものであるようです。しかしその不合理性は予測可能なものだそうです。この本で紹介される多くの“不合理な”人間の行動は僕にも当てはまることがたくさんあって、著者に自分の不合理さを直接指摘されているようで大変面白かったです。

  

宇宙は必然か偶然か:『宇宙はなぜこのような宇宙なのか』

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『宇宙はなぜこのような宇宙なのか』講談社現代新書

著者:青木薫

 

『宇宙なぜこのような宇宙なのか』という問いにパラダイムシフトを引き起こす

目的論という怪しすぎる衣をまとい、科学者たちに拒絶された人間原理の問題は、多宇宙ヴィジョンの登場によって変質し、注目に値するものになりました。人間原理との関係の中で宇宙の在り方の謎を追い、問いそのものに対して発想の転換をもたらします。

 

本書の概要

本書は6章からなります。

 

第1章:天の動きを人間はどう見てきたか

太古の昔から人間は天の動きを観察してきました。始めそれは占星術として発達し、やがて惑星の動きを説明しようと試みられます。プトレマイオスの地球中心モデルからコペルニクスの太陽中心モデルに至る過程を振り返ります。

 

第2章:天の全体像を人間はどう考えてきたか

ニュートンの無限宇宙のイメージを捨て、アインシュタインはリーマン幾何学を用いた一般相対性理論をもとに宇宙の全体像の謎についての一つの答えを与えました。その後、ビッグバン理論が代表する変化する宇宙像と変化しない宇宙像との間で論争が巻き起こります。

 

第3章:宇宙はなぜこのような宇宙なのか

1974年、ブランドン・カーターは「コインシデンス」(諸々の物理定数がなぜこのような値になっているのか)の説明のために2つの人間原理を提唱します。このうち時間に関する弱い人間原理は、現在では観測選択効果で説明でき否定されていますが、宇宙の在り方に関する強い人間原理の方は、話は簡単ではありません。

 

第4章:宇宙はわれわれの宇宙だけではない

ビッグバンが抱える問題を解決する理論としてインフレーション理論が提唱されました。このインフレーションの多宇宙ヴィジョンによって、われわれの宇宙が無数にある泡宇宙の一つだと考えると、強い人間原理の方も、観測選択効果で説明できることになります。

 

第5章:人間原理のひもランドスケープ

ひも理論は、素粒子の標準モデルが説明できない問題を解決できる「究極の理論」の候補として期待されていますが、ひも理論は宇宙にはほとんど無限大(10の50乗通り以上)の在り方があることを予想します。これは、観測選択効果を適用するのに好都合です。

 

終章:グレーの階調の中の科学

人間原理をめぐる問題は大きく変質しました。「目的論を受け入れるかどうか」ではなく「多宇宙ヴィジョンは科学なのか」が問われています。

 

人間原理とは

カーターは「強い人間原理」について次のように語りました。

 

宇宙は(それ故宇宙の性質を決めている物理定数は)、ある時点で観測者を創造することを見込むような性質を持っていなければならない。デカルトをもじって言えば、「我思う、故に世界はかくの如く存在する」のである。

 

ちなみに、観測選択効果とは

 

観測選択効果(かんそくせんたくこうか、observation selection effects)とは、科学哲学の世界で使われる言葉で、何らかの現象の観察が行われる際に、観察者の性質や能力によって、観測される対象の層に偏りが生まれてしまう現象のことを言う。例えば地震の強さと回数についてのデータを取る場合、計測器の精度が悪ければ微弱な地震は少なく見積もられ、逆に強い地震の占める割合は相対的に大きく見積もられてしまう。人間原理について議論するさいによく参照される概念。

 出典:Wikipedia

 

強い人間原理の主張それ自身は、目的論を含んでおりとても科学的とは言えない主張です。しかし、カーターは「世界アンサンブル」(物理定数の値や宇宙の初期条件が異なる様々な宇宙の集合)なるものを考え、世界アンサンブルが実在するならば、強い人間原理も観測選択効果で説明できる、ということを述べたそうです。

 

宇宙の在り方について、3通りの考え方を想定できるということのようです。一つ目は、強い人間原理を受け入れること(ただし宇宙の創造者が必要になります)。二つ目は、ただ一つ存在する宇宙が偶然にも、人間のような宇宙の謎に想いを馳せるに足るほど高度に複雑なシステムを生み出しうる物理法則と初期条件を持った形で存在していると考えること。そして三つ目は、事実上無限の数の宇宙が存在し、そのうち少なくとも一つが前述したような宇宙で、人間がその宇宙に住んでいることには理由はないと考えることです。 

まとめ

この本を読む前には、僕は「究極の理論を完成させれば、宇宙がなぜこのような宇宙であるのか解明できる。」と漠然と思っていましたが、多宇宙ヴィジョンを受け入れると、そこには理由も原因もなく「たまたま」そうであるに過ぎない可能性が高いのだと思うようになりました。大きな思想の転換をもたらしてくれた一冊でした。

人間の姿をした悪魔たち:『異常快楽殺人』

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『異常快楽殺人』角川ホラー文庫

著者 平山夢明

 

怪物となった人々の不幸で残酷な人生を描く

殺人は人が犯してはならない最も重大な罪の一つです。しかし、歴史上には何十・何百もの殺人を犯した“怪物”たちがいます。その実態を知れば「人はここまで残忍になれるのか」という衝撃を感じずにはいられないと思います。

 

本書の要約

本書では7人の異常快楽殺人犯が紹介されます。

 

人体標本を作る男 エドワード・ゲイン

 偏執的な信仰心を持つゲインの母親は歪んだ戒律を教育し、アル中だった父親の死を息子達に祈らせるような人物でした。また、息子の“男”としての部分を全ての堕落と退廃の源として憎悪していて、母親を恐れながらも敬愛するゲインは大きく影響を受けました。

 家族達の死後、絶望的な孤独に陥ったゲインは怪物へと姿を変えます。彼は、夜中に霊園に足を運び、女性の墓を暴いて棺を掘り出し死体を取り出して、性交したり死体を弄ったりしました。やがて死体の解剖に興味を持ち始めたゲインは、死体を自宅に持ち帰り、解剖・解体・加工して、装飾品や置物を作るようになります。

 ベッドポストに飾られた頭蓋骨、人間の膝骨と背中の皮でできた椅子、数人の顔の皮が使用されたランプシェード、幾つもの唇が吊り下げられたモビール、乳房が飾られたチョッキやベスト、人間の皮膚でできた財布・ポーチ・バッグ、…。この捜査で狂気の展覧会を目にした保安官は、この時の捜査が元で不眠と不安神経症に悩まされ始め、ゲインの公判の前に心臓麻痺で死んだそうです。

 

殺人狂のサンタクロース アルバート・フィッシュ

 幼少期を孤児院で死後したフィッシュは、寮母の鞭打ちが快感をもたらすことに気がつきました。彼はその卓越した想像力と集中力で妄想にふけるようになります。成人した彼は、結婚し子供をもうけますが、妻の浮気が原因の離婚を機に彼の精神の崩壊の度を強めていきます。

 穏やかな老紳士の風貌をまとった64歳のフィッシュは、10歳の少女を誘拐し食したことを警察に突き止められ、逮捕されました。彼は400人以上の幼児殺人を告白しました。「どんなふうになるんだろう、電気椅子なんて。何しろ人生に一度しか味わえないじゃないか。今が人生で一番わくわくしているよ」こんな言葉を残して、悪魔から来た殺人狂はこの世を去りました。

 

厳戒棟の特別捜査官 ヘンリー・リー・ルーカス

 全米犯罪史上最多の360人の殺人を犯したとして死刑宣告を受けているヘンリー・ルーカスは、テキサス州の要請を受けてヘンリー・ルーカス連続殺人事件特別捜査官の一員として、独房の中から事件の捜査・解決に協力しています。

 『羊たちの沈黙』という小説の登場人物のモデルにもなった男は、独房でシスターに洗礼を受け、すべてが解決した後の死刑執行を条件として捜査に協力し続けています。

 

この他、ベトナム従軍経験が“時限爆弾”となって連続殺人を犯し、懲役250年の刑を受け服役中のアーサー・シャウクロス、53人の婦女子を殺害したソ連の赤い切り裂き魔アンドレイ・チカチロ、道化師として慈善活動を行う傍、33人の少年を殺害したジョン・ウェイン・ゲーシー、人肉を主食とし、上腕二頭筋が好物の美青年ジェフリー・ダーマーの4人が紹介されます。

 

まとめ

 ミステリー小説を幾つか読んだのち、現実の世界ではどのような犯罪があったのか知るために読んでみましたが、現実に起こったことだと受け止めがたい事件ばかりでした。事件そのものの異常性はもちろんですが、詳細な犯行(殺人・解体・食人)の様子がグロテスクに描かれていることによって人間の恐ろしい闇を強烈に感じます。著者自身、執筆中は家族から「人格が変わってしまっていた」と語り草になっているとのことで、気分が悪くなりやすい方や体調が悪い方は読むのを控えた方が良いかもしれないです。

懊悩の果ての死地:『青の炎』

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『青の炎』角川文庫

著者:貴志祐介

 

殺人というものを17歳の犯人の視点から見つめる

貴志祐介さんのミステリーで、Amazonのレビューが多く評価も高いので有名な人気作であるようですが、お気に入りの一冊なので改めて紹介させていただきます。僕は見たことはないのですが、2003年には監督蜷川幸雄さん、主演二宮和也さんで映画化されています。

 

物語のあらすじ

17歳の櫛森秀一は高校に通いながら、母・妹とともに三人で暮らしていました。平和に幸せな生活を送っていた中、突然家に押しかけてきたのは母の前夫の曾根でした。酒とギャンブルに溺れる曾根は秀一の家にとどまり続け、三人の金を浪費し母そして妹にまで手を出そうとしてしました。

 

警察も弁護士もこの問題を解決してくれないことを悟った秀一は、家族を守るために自らの手で曾根を「強制終了」する決意を固めます。秀一の心の中に現れた熱くて冷たい青の炎は大きく強く燃えさかり、敵を、味方を、そして自分自身をも…。

 

全てを変える‘事実’

家族想いの優しい高校生を孤独な殺人者に豹変させたのは、どこにも助けを求められない状況の中で、それでも母と妹を守らなければならないという思いでした。秀一は豊富な知識と明晰な頭脳を活かして、‘完全犯罪’を考案することに成功します。高校生なのに、いや、高校生だからこそなのか、責任感に突き動かされるがままに、秀一は遂に曾根の「強制終了」計画を実行しました。

 

警察の捜査の後、曾根の不審死は病死とされ、計画は成功裏に終わったかのように思われました。しかし、「一人の人間を殺害した」という確固たる事実は、秀一が知らないところで全てを変えてしまっていました。家族との生活、友人や思いを寄せる人との関係、そして何よりも秀一の心は、もう以前のあり方ではなくなってしまっていて、それを取り戻すことはできなくなっていました。

 

この事件を発端として、様々な出来事が秀一の思いもよらぬ形で次々と展開し、この物語の悲劇的な結末へと向かうことになることを考えると、たった一人で‘完全犯罪’の考案に成功し、計画通りに遂行するだけの頭脳・行動力・責任感を持ち合わせていたことは、秀一にとって不運なことだったように思われます。

 

この物語の最後の部分そして結末に感じる、哀感なのか虚無感のような感情は、僕の語彙ではうまく形容できませんが、読み終えた後はしばらく余韻に浸ってしまいます。

 

まとめ

この感想を書くためにもう一度読み直してみましたが、結末が分かっていても魅力を失わない物語でした。フィクションは多くは読んでいないのですが、これほど犯人に感情移入させ、犯人と喜怒哀楽をともにできる物語はあまりないのではないかと思います。以前感想を書いた『容疑者xの献身』に似ているポイントがいくつかあるので、そちらが好きな方はこの作品も気に入るかもしれません。