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The Room of Requirement

必要な人が必要な時に必要なことを

神の存在という「仮説」を粉砕する:『神は妄想である』

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『神は妄想である』早川書房

著者:リチャード・ドーキンス

 

世界一有名な不可知論者が宗教を徹底的に攻撃する

9.11を始めとして、世界各地で宗教が背景にあるテロ・紛争が巻き起こる現代の世界情勢を憂慮して、『利己的な遺伝子』の著者として有名なドーキンスが、宗教に対してあらゆる方向から論理的かつ徹底的に鋭い批判を重ねます。神の存在という「仮説」を粉砕するため、そして世界中で宗教に対して密かに疑念を抱いている人に勇気を与えるためにドーキンスは宗教との最終決戦に挑みます。

 

本書の概要

本書は10章からなります。

 

第1章 すこぶる宗教的な不信心者

アインシュタインやホーキングを始めとする物理学者が使った神という言葉は比喩的ないし汎神論的ものであって理神論的・有神論的ものではないことを説明した上で、著者はそのような神とは異なる「超自然的な神」だけを妄想と呼んでいることを前置きします。

また、良心的徴兵忌避やムハンマドの風刺漫画掲載などの事例を取り上げ、人間社会においては宗教に対し、常軌を逸した過剰なまでの不相応な敬意が払われていることを指摘します。

第2章 神がいるという仮説

神仮説を次のように定義します。「宇宙と人間を含めてその内部にあるすべてのものを意識的に設計し、創造した超人間的、超自然的な知性が存在するという仮説」。そして、その代案として提唱される考え方が「何かを設計できるだけの十分な複雑さを備えたいかなる創造的な知性も、長期にわたる漸進的進化の単なる最終産物でしかない」というものであると主張します。

自らを無神論者に傾いた不可知論者とする著者は、神仮説は科学的な疑問で、それに対する不可知論はTAP(一時的不可知論)のカテゴリーに属するものであることを確認します。そして、ラッセルのティーポットや空飛ぶスパゲッティモンスターの例を挙げ、神仮説の蓋然性を50%とすることが誤りであると示します。

また、科学と宗教の非干渉関係を表すNOMA(重複することのない教導権)が宗教側の利益のためのものであり、神仮説を支持する証拠がない故に用いられることを指摘します。

第3章 神の存在を支持する論証

神学者たちが行ってきた神の存在の“論証”を紹介します。

無限退行に関わる論証、度合いからの論証、目的論的論証、存在論的論証、美を根拠にした論証、個人的な体験を基にした論証、聖書に基づく論証、崇拝される宗教的科学者を持ち出しての論証、パスカルの賭け、ベイズ流の論証、これらすべてが根拠を持たないものやそもそも論証になっていないものであることを示します。

第4章 ほとんど確実に神が存在しない理由

神学者が神の存在を論証するために用いる非蓋然性からの論証(目的論的論証と同じ)は、その意図に反して、ほとんど確実に神が存在しない理由を与えることを示します。生命の複雑さの説明に神による設計を持ち出すことはできず(神という、より複雑な存在の説明を必要とすることになる)、生命の起源に対する人間原理及び生命の進化に対する自然淘汰を想定するしかないと説明します。

第5章 宗教の起源

自然淘汰の及ぼすいかなる圧力がそもそも宗教への衝動を進化させたのかを問い、宗教の直接的利点、群淘汰、副産物としての宗教、ミームとしての宗教を考えます。著者は宗教を何かの副産物としてみなしており、「何か」の例として、「子供が周囲の大人の言うことに従うこと」を挙げます。これは人間社会において淘汰上の利益になると同時に奴隷のように騙される(すなわち宗教を持つ)ことにつながります。

ついで、誕生から消滅に至る完全な歴史が保持されているカーゴカルト(積荷信仰)を紹介しつつ、ミーム説が宗教という事例でうまく機能するか問います。

第6章 道徳の起源—なぜ私たちは善良なのか?

個人がお互いに対して「道徳的」であることに関するダーウィン主義に基づく理由を4つ挙げます。第一に遺伝的血縁によるもの、第二に互恵性によるもの、第三に気前よく親切であるという評判を獲得することによるもの、第四に気前良さによって得られる広告効果によるものです。すなわち、道徳の起源を宗教に求める必要はないと示します。

第7章 「よい」聖書と移り変わる「道徳に対する時代精神

宗教的な人々が道徳の拠り所とする旧約聖書新約聖書が極めて醜悪な内容を含むことを指摘した上で、聖書が道徳の起源になり得ないことを論証し、むしろ宗教が戦争の原因となっていることを示唆します。

また、どんな社会にもどことなく謎めいた見解の一致が存在し、それが数十年単位で変化することに対しツァイトガイスト(時代精神)という言葉を当てはめ、それが宗教を起源に持つことはないことを示します。

第8章 宗教のどこが悪いのか?なぜそんなに敵愾心を燃やすのか?

宗教上の原理主義が科学的な営為を積極的に堕落させるが故に著者はそれを敵視すると説明します。非原理主義的宗教は、子供に「疑うことのない無条件の信仰が美徳である」と教えることによって原理主義者にとって好都合な世界を作っているという意味で有害であるといいます。

また、宗教が同性愛や中絶に対する間違った主張の源泉となっていること、及びテロリズムの根本的な原因となっていることを主張します。

第9章 子供の虐待と宗教からの逃走

聖職者による子供への肉体的虐待もさることながら、子供の洗礼そして宗教的教育(例えば地獄を持ち出しての脅し)は精神的虐待であると訴えます。

さらに聖書を起源に持つ成句・詩句・常套句や宗教的儀礼といった文化的遺産との絆を失うことなく神への信仰を放棄することはできると主張します。

第10章 大いに必要とされる断絶?

宗教が人間生活において果たすと考えられてきた4つの主要な役割、すなわち説明、訓戒、慰め、霊感(インスピレーション)のうち、説明と訓戒において宗教が出る幕はないことはすでに説明されました。ここでは、宗教が提供してきた不合理で姑息な“慰め”の実態を再確認するとともに、科学が我々人間の非常に狭い世界を見る窓を劇的に広げてくれることを示します。

 

ほとんど確実に神が存在しない理由

本書の中心的テーマである、神がいるという仮説の否定を取り上げます。

創造論者の主張はこうです。「生物が備える構造は偶然ではありえないほどに複雑なものである。従って、これは神が設計したものである」。

この主張の第一文は正しい主張で、すべての人の共通了解事項です。問題はその後で、偶然ではありえない複雑さの説明に神を持ち出した瞬間、「では、神はどこから来たのか」という説明が必要となります。すなわち、複雑さが設計されたものだと考えると、その複雑さを上回る複雑さを備える存在(神)が必要になり、何の説明にもなっていない(無限の退行)ということです。

この説明に取って代わり、ありえなさという問題に対する今のところ唯一の有効な説明が自然淘汰による説明です。自然淘汰はありえなさを小さな断片に分割し、小さなありえなさを持つ出来事の累積として捉えることで、最終産物であるとんでもなくありえないものの存在を説明します。

自然淘汰が説明できないものに「還元不能な複雑さ」があります。これを持つとは「ある機能をもったひとまとまりのものが、それを構成する部品の一つでも取り去れば全体が機能しなくなること」を言い、仮に還元不能な複雑さを持つ構造が生物に見つかれば自然淘汰説は崩壊しますが、創造論者の努力むなしく現在のところ見つかっていないそうです。

 

まとめ

何億人もの人間を敵に回すことを覚悟した上で、自らの反迷信・反非合理主義の立場を貫き通すドーキンスの姿には、彼の科学者としての矜持を強く感じました。宗教を背景としたテロや紛争が顕在化し、宗教の実害が以前にもましてはっきりと姿を現し始めた現代だからこそ、一人でも多くの人間が宗教と決別する必要があると確信させられました。あらゆる方面から批判を加え、それに対するあらゆる反論・言い逃れまで想定しそれらに対する解答まで用意するという、宗教に対してわずかの逃げ場も与えないドーキンスの論の展開は、ある主張(本書では神がいるという仮説)に対してその主張を否定するということのお手本を示してくれているとも感じました。

この記事の分量からも察していただけると思いますが、本当に濃度が濃くたくさんのことを教えてくれるものであり、読書経験の中で出会った最も刺激的な本の一冊です。